量子化学・量子技術の基礎知識
関先生のコラム8・・・物質波を予見した長寿の物理学者・・・ルイ・ド・ブロイ
2026.03.271.常識外れの予見をしたド・ブロイ
私がつくばでの工業技術院の研究所(繊維高分子材料研究所、現在の産総研)で研究員をしていた30歳の時、ある新聞記事に目に留まりました。現代物理学者のド・ブロイが亡くなった記事でした。今までご存命だった!・・これには驚きました。
あらゆる運動する物質には波の性質が伴う、とする説を唱えた有名なルイ・ド・ブロイは95歳まで長生きしました。量子力学の誕生へと導いた物質波を記述した博士論文は1924年に発表されました。今から50年ほど前になりますが、私が高校生の時に高校物理の教科書にしっかりド・ブロイの記載があったのを覚えています。ラザフォード、アインシュタイン、ボーアといった高校物理でもおなじみの科学者はすで既にこの世を去って久しかったので、ド・ブロイもとっくに歴史上過去の人物だと思っていました。ところがその新聞記事は、自分はあのド・ブロイと30年間この地球上で同じ空気を吸っていたのだと気づかせてくれました。茶色レンガの研究所の建物の6階の窓から、多くの木々が地平線まで広がっているつくばの景色を不思議な感覚で眺めました。私の専門分野である高分子化学もそうですが、「量子」は人類が手にしたばかりの新しい学問体系であり、驚くほど急激にあらゆるところで展開されていることを改めて実感しました。

ルイ・ド・ブロイ Louis de Broglie(1892-1987)写真はWikipediaより
ド・ブロイはパリのソルボンヌ大学で歴史学を学びましたが、お兄さんの(モリス)の影響で物理学に興味を覚えました。モリスは実験家だったのですが、弟のルイは理論的思考により優れていたようです。波とされていた光に粒子としての性質を伴うことが1905年のアインシュタインの光電効果の論文以降広く認識されるようになりました(光量子)。そのころルイは若い学生でしたが、光量子について深く考えを進めているうちに、対称的に、運動している粒子には波の性質が伴っているのではないか、との発想に至り、アインシュタインの特殊相対性理論とボーアの業績に基づいて、物質波の考えを1924年に博士論文にまとめました。この論文は、パリのソルボンヌ大学のランジュバンに提出されて審査が行われましたが、この論文の意味するところが当時の審査員には認識できませんでした。そこでランジュバンはすで既に名声を得ていた友人のアインシュタインにこの論文を送りコメントを求めました。間もなく、「この論文はノーベル賞に値する」との返事が戻ってきました。その通り、その後すぐに物質波の存在が証明され、論文発表の5年後の1929年後にド・ブロイはノーベル物理学賞を受賞します。
なぜ、物質波の考え方がそれほど重要なのでしょうか。量子力学の形成史において、「プランクの量子とド・ブロイの物質波の二つが本質的に新しい出発点である」(高林武彦著,「量子力学の発展史」,中央公論社 (1977))と論じられるほどド・ブロイの貢献は量子論の根本的な礎となっています。よく知られるように、物質波の考えを発展させてシュレディンガー方程式が誕生しました。
ド・ブロイが物質波の考えを提出した当時、電子のような粒子に波の特性を有する証拠はありませんでした。野球ボールも道端の石ころも投げて飛んでいれば(運動していれば)、厳密にはある波長の波の性質を伴っていることになります(もちろん、感知不能なレベルの短波長です)。この常識外れで受け入れがたい物質波の存在を予見し理論として公表した勇気には驚嘆します。当初、アインシュタインだけがこの考えに賛成し、量子論の中心地ともいえるコペンハーゲン(ボーアなど)やゲッチンゲン(ボルンなど)の研究者にはまともに受け止めなかったようです。
2.実験的証拠は予期せぬところから
そんな折、ド・ブロイの理論研究と同時期の1923~1927年にかけて、思いがけず大きな電気企業の特許争いから物質波の重要な実験的な証拠が出てきました。米国のデーヴィソンとジャーマー(ウエスタン・エレクトリック社ベル研究所、AT&Tの製造部門)は、ジェネラル・エレクトリック社と真空管の特許と関わる訴訟対策の実験で、ニッケルの酸化膜表面へ電子線や陽イオンを当てる実験を行っていました。ウエスタン・エレクトリック社はこの訴訟に勝利しましたが、はるかに重要かつ有名な実験はその副業として行われたものです。実験中、真空管が割れてしまって、実験を再開するためにニッケル表面をきれいにする必要があり高温で脱気しました。このとき、ニッケル表面に大きなサイズのニッケル原子の単結晶膜が生成し、彼らはそこに電子線を照射してみました。すると電子がある特定な方向に電子が強く回折される奇異な現象が見つかりました。
デーヴィソンとジャーマーはこの時までは、ド・ブロイの理論のことを知りませんでした。デーヴィソンはオクスフォードで開かれた学会にて、驚いたことに、マックス・ボルンがデーヴィソン自身の研究の電子の回折曲線がド・ブロイ理論の裏付けとなりうる、とした講義を行っていました。なんと・・、デーヴィソンはここでド・ブロイのことを知り、米国へ戻って実験装置をより精密に改良して実験を行いました。結果をド・ブロイの式を用いて電子を波とみなして解析すると、その回折角度が波を扱うブラックの式でぴったり説明できることがわかりました。ド・ブロイの理論が図らずも実験的に証明されることとなりました。

デーヴィソン(左)とジャーマー(右)。この写真でデーヴィソン手にしているものは実験に用いた真空管でしょうか・・。(写真はWikipediaより)
粒子としての電子を発見した有名なJ.J.トムソンの息子のであるG.P.トムソンもデーヴィソンとガーマーの実験とほぼ同時期に電子線を金属に当てて生じる回折・干渉現象の観測に成功しました。デーヴィソンとG.P.トムソンは電子の波動性の実験的証明で1937年にノーベル物理学賞を受けています。トムソン親子に関しては、父親が電子を発見し、息子はその電子に波の特性があることを示して、親子二代、電子でノーベル物理学賞を受賞しています。日本でも1928年に、菊池正士(当時東京大学)による雲母の薄膜を用いて電子の回折像(菊池像)を観測した先駆的な業績があります。
これらの実験により、ド・ブロイの予見通り電子が波の特性を持つことがゆるぎないものとなりました(物質波はド・ブロイ波と呼ばれることもあります)。少し前から光(X線)を電子に当てると(光の粒子特性である運動量の一部が電子に渡されるために)波長が長くなって散乱される現象(コンプトン効果)が知られており、これが光の粒子性の直接的な証明となっています(コンプトン散乱1923年、1927年ノーベル物理学賞)。コンプトン効果と今回の電子の回折現象で量子論における基本概念である波動と粒子の二重性が確立されたことになります。電子の回折現象の発見については、デーヴィソンとジャーマーの実験が有名で、これは上記の企業にて予期せぬきっかけで進められたドラマ性のあるというインパクトからのように思います。
デーヴィソンとジャーマーの実験では、装置上の失敗が物質波発見のきっかけとなっており、このことは科学技術の歴史的なブレークスルーや発見という観点から大いに示唆的です。2014年にノーベル物理学賞を受賞された名古屋大学の赤﨑先生と天野先生についても、高輝度の青色発光ダイオードの発明途上で似たような状況があります。効率よく青色発光させるためはサファイア基板上に結晶格子の異なる大きな窒化ガリウム結晶膜を作る必要があります。何年も実験を試みましたがその作成は大変困難でした。ある時にサンプル温度が目的通りに上昇しない装置上の不具合が生じました。この時に基板上に低温でバッファー層を設けて良質な窒化ガリウム結晶膜を生成させるアイデアが生まれ、これが青色発光ダイオード誕生の重要な第一歩となりました。
どちらの例も、装置上の不具合を単なる失敗として終わらせることなく、ノーベル賞研究へと大逆転させています。すばらしい研究者の卓越した観察力と洞察力、そして展開力には感動させられます。新たな着想・手法・概念が得られるまでに、研究者たちは膨大な数の実験を繰り返しています。その経験と努力の積み重ねの結果として集中力と感覚が研ぎ澄まされ、実験途上で何か普段と異なることが発生した際に、その現場の人しか感じえない重大な意味をもつインスピレーションが脳裏に浮かぶのではないでしょうか。まさに、「Chance favors the prepared mind.」(ルイ・パスツールの言葉)です。
今回のコラムの内容は、W.クロッパー著、水谷淳訳、「物理学天才列伝・下」、ブルーバックス、講談社(2009)および、村上陽一、「エデュケーションQ、ルイ・ド・ブロイの功績」, 伝熱, 49, 52-57 (2010)などを参考にしました。
名古屋市量子産業創出寄附研究部門 特任教授 関 隆広
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