量子化学・量子技術の基礎知識
関先生のコラム5・・・関一彦先生のこと
2025.07.2310月から主に企業の若い方を対象に、当部門主催で量子化学リスキリング講座「Q-NC Back to School」を行います。量子化学と関わり、今回は名古屋大学にいらしたもう一人の関教授の話をしたいと思います。リスキリング講義を準備するにあたり、いろいろと思い出されることがあり、今回は箸休めのようなものですが、たまにこうしたコラムも含めさせていただきたくことをお許しください。
学術界にて名古屋大学で量子化学の“関”といったら皆さん間違いなく関一彦先生を思い浮かべると思います。私は2002年に名古屋大学の工学研究科に着任しましたが、名古屋大学の理学研究科には関一彦先生が活躍されていました。関一彦先生は名古屋大学の化学系で採択された文部科学省21世紀COEプログラム事業のコーディネーターをされ、学部に加えて大学院教育に多大な貢献をされていましたし、岩波書店から出版されている化学入門コース「物理化学」の教科書も執筆されました。
関一彦先生は、有機-無機界面の電子構造に関わる最先端の研究でご活躍されていました。私は名古屋大学に着任するまで直接お会いする機会はありませんでしたが、高名な先生なので先生のことは存じ上げていました。先生は有機導体分子の界面配向などをテーマとして研究をされておりましたが、私自身も光を用いて界面で液晶分子を配向させる光配向技術を扱っています(光配向技術のことはいずれコラムでも紹介できればと思います)。研究手法と物質が異なるので、学会や研究会等での直接的な交流はありませんでしたが、関一彦先生のお仕事は有機エレクトロニクスデバイスに関連し、私は液晶ディスプレイに関連する研究ということで、有機デバイス関連および界面配向という多くの研究上の共通点があります。
同大学で似たような研究分野で二人の関教授がいることは、周りの人をかなり混乱させたようです。特に外国からの郵便は所属まできちんと記載していないことが多いので、請求書もしばしば互いに間違って届きました。宅配便の配送の方も間違えて、物品が異なる関研究室に届けられることがあり、研究室のメンバーに台車を引いてキャンパス内で配達物を正しい関研究室へ運んでもらったこともありました。関一彦先生には、同じ名字の関隆広が工学研究科に後から着任したことで、いろいろとご迷惑をおかけすることとなりました。
混乱は学内だけではありません。フォトクロミズム研究(光に応答する機能分子の研究)で世界的な研究者である入江正浩先生が九州大学をご定年となり立教大学へ移られるタイミングで、この研究分野の文部科学省の特定領域研究を立ち上げられました。私は入江プロジェクトの領域事務局と班長を務めることになりました。立ち上げ時、“名古屋大学の関”ということで、他大学の多くの先生方は関一彦先生が新しくフォトクロミズムの研究を始められたと勘違いされたようです。私が名古屋大学に着任して日が浅かったこともありますが、やはり関一彦先生が高名であるが故のことです。私にとってはこの混乱は、内心光栄なことではありました。
関一彦先生は、名古屋大学はもちろんのこと、日本の化学分野の大黒柱でおられました。しかし大変残念ながら、2008年に60歳という若さで急逝されました。名古屋大学にとっても、以前勤められていた分子科学研究所にとっても(もちろん日本の化学分野にとっても)大ショックでした。追悼のセレモニーでは、野依良治先生も弔辞を述べられ、次代の日本の化学を担う騎手として関一彦先生に大きな期待を寄せていらっしゃったことが強く伝わってきました。
教育面では関一彦先生は理学部化学科の「量子化学」の講義を主に担当されていました。関一彦先生の量子化学の講義は、格調高くわかりやすい名講義であると学生や教員の間でも大変評判でした。私は工学部でしかも教員の立場ですので、先生の学部生向けのご講義を直接拝聴する機会はありませんでしたが、ご講義を一度でもいいから(学生に変装してでも!?)拝聴できたらよかったのにと思いました。と言いますのは、私自身は高分子材料や液晶材料が専門ですが、定年間際の2年間だけ、工学部の化学生命工学科の学生に量子化学の講義を担当することになりました。おそらく私の量子化学の講義はドタバタで、比較にならないレベルだったと思いますが、今回のQ-NCリスキリング講座では、この時の講義内容をベースに私自身もリスキリングしてお話をさせていただきたく思います。
実は、私は定年後に名大理学部化学科の学生を対象に、非常勤として秋学期に「高分子化学」の講義を行っています。図らずも、関一彦先生も使用していたと思われる理学部化学科の講義室で授業を行う機会をいただいており、何か不思議な縁を感じます。従来は電子のふるまいなどの微視的な系を対象とする量子化学と巨大分子を扱う高分子化学は全くの異分野でした。しかし最近は高分子化学でも、例えば重合触媒の設計や重合機構などで量子化学計算の果たす役割は大変大きくなってきており、少しずつ両分野が近づきつつあります。
関一彦先生をご存じの方はどなたも賛同されると思いますが、先生は大変温厚な方で、いつも温かく接していただきました。かつて名古屋大学の量子化学分野のスーパーマンであった関一彦先生が活躍されていたこと、少しでも多くの方に記憶に留めておいていただければ幸いに思います。
名古屋市量子産業創出寄附研究部門 特任教授 関 隆広